. .l ..v.Y .! . , 平成徒然草 .vvv 。 . | v v ...
折に触れて見聞、経験、感想などを筆にまかせて何くれとなく 記しています。
 『平成十二年、文月十七日に更新』   
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平成十年 長月、神無月霜月、師走
平成十一年 睦月〜水無月文月〜師走
平成十二年 睦月〜水無月文月〜

平成十二年
 文月。




退院
 時の流れのなんと速きことよ。最後に徒然草を綴ってからほぼ半年。談話室の投稿を 読んで頂いた方にはなんとなく事情を察していただけるのではないかと夢想する。
 何がなんだかとにかく目まぐるしい半年だった。朝から晩までごろんと横になって 休養する *完全休養の日* は数えるに片手に足りてしまう。卯月以降に限れば 今回の入院の前日まで *完全休養日* は皆無であった。弥生以前も風邪で寝込んで しまった時だけだったように思う。正月すら出勤していたもんねぇ。
 さて今回の入院である。水無月二十日に入院して、同二十一日に手術。術後抜糸 完了まで入院ということで、本日、文月一日が退院日となった。当初予想より、 やや長く十二日間の入院生活であった。
 手術内容は左手示指再建手術の続きである。今回は、陥入爪(巻爪)の治療、骨変形の 修正(骨が無用に出っぱった部分の切削)、血流確保のため太くしていた指を可能な限り 細くする等、一度の手術でかなり欲張った手術内容だった。
 前回は、移植後骨変形の矯正手術で、上反り向きについてしまった骨を切断し、正しい 向きに固定して骨がつながるようにする治療だったので、骨を切断した分、術後の疼痛が 激しかったのだが、外創は小さく縫い針数も少なかった。指にステンレスの針を打ち込まれ、 添え木を当てたままではあったが、抜糸が済んだらとっとと退院できたのだ。
 今回は骨は削っただけだったので術後の疼痛もさほど激しいものではなかっ たのだが、とにかく外創が長い。指より長い傷なので、縫い針数もかなり多い。 陥入爪部分の傷が*要注意* なのだそうだ。安全のため一度に抜糸せず、段階 的に抜糸する。抜糸はけっこう痛い。これを三日続けてとなると、ちょっと 気持ちの滅入る話ではある。まぁ、避けては通れない道なので我慢するしかない。
 余談だが指の骨がつながるまでの間はたいていステンレスの針金を一〜二本打ち 込むことになる。指先のことなので大抵局所麻酔下で行われるので、ついたてごし ながら医師の会話もはっきり判るし針金を金槌で打ち込まれているのも判るのだ。
 # 前回の時は、丸鋸で骨を切断されていて、完全に切れた瞬間がはっきりと判った。
 骨がつながったのをレントゲンで確認後、これは当然ながら抜かなくてはいけない。 まさに恐怖の一瞬である。麻酔は使わない。看護婦がペンチを渡すと、医師は 力任せに一気に抜き去るのみ。痛くないわけが無い。…というか、、激痛である。 最初の手術の時は、より確実に骨がつながることを期して、二本打ち込まれた。 ここまで計三本である。どういう訳か、抜いた針金は *記念品* ですからという 台詞とともに患者に引き渡されるのが慣習らしい。自宅の引出の中に三本の 針金が静かに眠っている。



フルスロットル
 一日の徒然を病院で書いて(WinCE)、更新するつもりのまま、あっという間に一週間。

 退院の日から、いきなりフルスロットルである。週末までは、のんびり…と思っていたのだが。
・「入退院」ってのは、一種の「お引越し」なわけで、かなりバタバタするのである。
・オムツが無い、蛍光灯が切れている、、、等々の些細ながらも面倒な家事労働が沢山待ちうけていた。
仕事も *てぐすね* ひいて待っていた
…ってな塩梅で、誰も退院したての怪我人を、のんびりとはさせてくれないのである。(いきなり全力疾走状態)

 巡回ソフト(wwwc など)や検索エンジン等からのアクセスをカウントしないように、イメージタグで アクセスのカウントをしている。
 PNG 騒動で一時的に激増したアクセスも、1ヶ月程であっさりと減少したのだが、元のペースには 戻らなかった。定期的に検索エンジンが、サイト内を舐め尽くす様にアクセスしてくる。そして検索 エンジンの検索結果として、当サイトにアクセスしてくる人がかなり増えた。驚いたことに、特定の ページを wwwc のチェック対象にしてくれている方々も何人かおられる様だ…。結果として、 日々のアクセスログの容量が倍増した。(カウンターはちっとも上がらないのに…。)
 PNG のページの更新を心待ちにされているようだ。うーん、とりあえず後回し。m(_ _)m 陳謝




お通夜。
 昨夜、親類のお通夜に参列してきた。
 故人は、父方の義叔父のお母さん。親類縁者ではあるが、血縁ではない。享年89の大往生。
最近、ずっと調子が良くなくて何年も前から入院していたことは知っていた。電話で訃報を聞いた時、 俄かには顔も思い出せなかった。ほぼ老衰と云ってよく、末期は苦しみの無い静かな様子であったと のこと。

 義叔父は、一人っ子だったので、勢い叔母の兄弟姉妹(自分の父親が長兄)の縁者の方が数が 多くなってしまう。(9人兄弟)なかなかに長命な家系で、故人の両親も数年前まで健在であった。 喪主である叔父は、近隣ではなかなか名の知れた老舗の問屋を営んでいる。従妹も数年前に結婚し てすぐに子供が生まれたので、なんと僅かな期間ながら「大奥様、奥様、若奥様(叔母)、お嬢様(従妹)、 お嬢ちゃま」の五世代が同居していた。大旦那さんと大奥様もかなり元気だったのに、後を追うように 急逝したのだが、曾々孫の顔も見れたので、悔いなく成仏されたように思う。
 祭壇に飾られた遺影を見て、はっきりと故人の在りし日の姿を思い出した。写真ではなく、 肖像画だったのである。お元気であった頃の写真を元に描かれたものであろう。最近、時折、 肖像画を描いてくれると云う新聞広告を見るのだが、これはなるほどと思った。元気だった頃の 様子を見事に思い出させてくれたのである。この方法はこれからどんどん広まるに違いないと 思う。(費用が高いのが難点だが。)
 読経が始まって驚いた。不信心者ながら、自分の宗派とは異なる「真言宗」であることが、 すぐに判ったのだ。ここ何年か不幸事と縁が無く、まして他宗派のことなど何も知らないに 等しかったのだが、先週の中頃に何の根拠も無く「仏教早分かり」という本をひもといてい たのである。しかも、それは縁の無い真言宗の項であったのだ。単なる偶然と思いつつも、 全くの偶然と思えない一事であった。
 今日が告別式だったのだが、とても仕事を休める状態では無いので仕事をしている。なにせ 忌引き休を貰えるほどには近く無いのだ。今頃、出棺を追え、火葬場への道のりを静かに進んで いるのではなかろうか。故人の冥福を祈る。合掌。

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